2020-06-24
【41年間 この場所、この箱を愛してくれてありがとう!!】歌舞伎町 愛本店の知られざる歴史!! 野口 左近 専務 インタビュー 前編
バラエティー
1979年から続くこの場所での「愛本店」。
ビルの建て替えに伴い、2020年6月末日を持って移転することになりました。
「愛本店」勤続年数が一番長い、野口 左近 専務にインタビュー、愛本店の歴史、ホストクラブの歴史、秘話など、全2話に渡りお届けいたします。
ビルの建て替えに伴い、2020年6月末日を持って移転することになりました。
「愛本店」勤続年数が一番長い、野口 左近 専務にインタビュー、愛本店の歴史、ホストクラブの歴史、秘話など、全2話に渡りお届けいたします。
愛本店の歴史 (1971年OPEN)
愛本店は移転を繰り返しこの場所へ、1971年 CLUB 愛として 新宿2丁目にOPENしたのが始まり。
幻の300坪の愛本店
この「愛本店」は約200坪あるんですけど、300坪の「愛本店」が、新宿東口にあったんですね。
ベルサイユ宮殿のような、300坪の幻の「愛本店」は、愛田武 名誉会長の奥様のお父様が設計したんですけど、ただ半年たたないうちに追い出されてしまって……。
靖国通りより新宿駅側は、ホストクラブを作ってはいけないという、暗黙のルールがあって、東口の映画の看板があったところに、ホストの看板を置くと即撤去されていました。
だから今、歌舞伎町に200店舗以上のホストクラブがあるけど、靖国通りから大久保側にしか存在してないんですよね。
愛本店は移転を繰り返しこの場所へ、1971年 CLUB 愛として 新宿2丁目にOPENしたのが始まり。
幻の300坪の愛本店
この「愛本店」は約200坪あるんですけど、300坪の「愛本店」が、新宿東口にあったんですね。
ベルサイユ宮殿のような、300坪の幻の「愛本店」は、愛田武 名誉会長の奥様のお父様が設計したんですけど、ただ半年たたないうちに追い出されてしまって……。
靖国通りより新宿駅側は、ホストクラブを作ってはいけないという、暗黙のルールがあって、東口の映画の看板があったところに、ホストの看板を置くと即撤去されていました。
だから今、歌舞伎町に200店舗以上のホストクラブがあるけど、靖国通りから大久保側にしか存在してないんですよね。
その頃のホストクラブは順風満帆だったのでしょうか?
今はありませんけど、昔は反社会勢力とのトラブルが多く、ケツ持だ、みかじめだ、とかね。
その影響もあり、どんどん潰れていって、ダンスフロアがあって、生バンドが入ってる店で
残ったのが、愛本店と、NEW愛だけの2店舗だけだったんですね。
最終的にはNEW愛も閉店し、生バンドがあって社交ダンスが踊れるフロアがあるのは、愛本店、1店舗だけですね。
ダンスホール~ホストクラブに変わったのは?
もともとホストクラブの歴史はダンスホールからです。
1960年代に、日本にまだホストクラブが無かった時に、マダムやお金持ちの女性が遊ぶ社交の場として始まりました。そこから、あの先生と踊りたい! この先生と踊りたい! 「ダンスアテンダント」というのですが、先生を指名する。
そこから指名制で指名料が発生するようになり、アルコールも出すようになった。
その流れで、ホストクラブができたと聞いてますね。
今はありませんけど、昔は反社会勢力とのトラブルが多く、ケツ持だ、みかじめだ、とかね。
その影響もあり、どんどん潰れていって、ダンスフロアがあって、生バンドが入ってる店で
残ったのが、愛本店と、NEW愛だけの2店舗だけだったんですね。
最終的にはNEW愛も閉店し、生バンドがあって社交ダンスが踊れるフロアがあるのは、愛本店、1店舗だけですね。
ダンスホール~ホストクラブに変わったのは?
もともとホストクラブの歴史はダンスホールからです。
1960年代に、日本にまだホストクラブが無かった時に、マダムやお金持ちの女性が遊ぶ社交の場として始まりました。そこから、あの先生と踊りたい! この先生と踊りたい! 「ダンスアテンダント」というのですが、先生を指名する。
そこから指名制で指名料が発生するようになり、アルコールも出すようになった。
その流れで、ホストクラブができたと聞いてますね。
当時の給料体制や働き方は?
一番最初のホストクラブは、出勤するのにお金がかかったんですよ。
500円を払わないとお店に出勤できなかった。
今の価値で、5,000円か10,000円かわからないけど、500円を払って「今日出勤させてください」と。
そうして始めて出勤できる。
お客さんがついてダンスを踊ったり、アルコールを頂いて、頂いた分の何%がホストさんにバックされる。
もし500円払って一つも指名が無ければ、まるまる500円を損してしまうという感じで。
そこで、愛田武名誉会長もそこにいて、500円払わないといけないという事で、ドンドン出勤率が悪くなり、辞めていくホストさんが多くなって。
そこをなんとかできないかなと、愛本店を作るときに考えたのが、黒服さんやボーイさんの業務をホストさんに任せて、500円を払わすのではなく、出勤してくれたホストさんにお店から最低保証を出すということ。
その中で、お客さんに指名されて売り上げが立てば、その分をバックするというのが始まり。
売上というものができたのが、その頃からだと思います。
今のようなホストクラブが出来上がったわけですね。
愛本店が最初になりますね。
だからそれはもう物凄い大変なことであって。
結局、そのシステムを導入することによって、全国各地からホストになりたいという人がいっぱい来て。
他店も保証制度とか真似して。
ホストクラブの給料システムの土台というものは、愛田武名誉会長が作り上げたものです。
今でもそのシステムはどんどん改良されていって、引き継がれている、という感じですかね。
一番最初のホストクラブは、出勤するのにお金がかかったんですよ。
500円を払わないとお店に出勤できなかった。
今の価値で、5,000円か10,000円かわからないけど、500円を払って「今日出勤させてください」と。
そうして始めて出勤できる。
お客さんがついてダンスを踊ったり、アルコールを頂いて、頂いた分の何%がホストさんにバックされる。
もし500円払って一つも指名が無ければ、まるまる500円を損してしまうという感じで。
そこで、愛田武名誉会長もそこにいて、500円払わないといけないという事で、ドンドン出勤率が悪くなり、辞めていくホストさんが多くなって。
そこをなんとかできないかなと、愛本店を作るときに考えたのが、黒服さんやボーイさんの業務をホストさんに任せて、500円を払わすのではなく、出勤してくれたホストさんにお店から最低保証を出すということ。
その中で、お客さんに指名されて売り上げが立てば、その分をバックするというのが始まり。
売上というものができたのが、その頃からだと思います。
今のようなホストクラブが出来上がったわけですね。
愛本店が最初になりますね。
だからそれはもう物凄い大変なことであって。
結局、そのシステムを導入することによって、全国各地からホストになりたいという人がいっぱい来て。
他店も保証制度とか真似して。
ホストクラブの給料システムの土台というものは、愛田武名誉会長が作り上げたものです。
今でもそのシステムはどんどん改良されていって、引き継がれている、という感じですかね。
ダンスが踊れなくても入店はできたのか?
僕が面接に来たときは、社交ダンスが踊れないという事で、断られました。
ダンスができないと働けませんでした。
服装はドレスコードでしたか?
完璧なドレスコード、スーツネクタイ着用が当たり前でした。
毎週土曜日はタキシードDAY又は白スーツDAY、週替わりでタキシードDAYと白スーツDAYがあって、清潔感と身だしなみは厳しかった。
僕が面接に来たときは、社交ダンスが踊れないという事で、断られました。
ダンスができないと働けませんでした。
服装はドレスコードでしたか?
完璧なドレスコード、スーツネクタイ着用が当たり前でした。
毎週土曜日はタキシードDAY又は白スーツDAY、週替わりでタキシードDAYと白スーツDAYがあって、清潔感と身だしなみは厳しかった。