2022年12月1日(木)
【獄中手記】ゆうしゃゆうとの成り上がり人生録
『世の中は無情 その中においても 輝く人は居た. 俺はそういう人になる. 暖かく 心強い あの人の様に.』
『8年の獄中生活』『壮絶な身内の死』それは人生の障害か、それとも糧か。レジスタンス代表ゆうしゃゆうとが語る。
荒れた少年時代
ーゆうとさんはどれくらいの期間、服役されていたんですか?
少年刑務所に5年、拘置所に3年の計8年ですね。
ー長いですね。どの様な罪だったんですか?
当時の友達(みんな未成年)でしたが、酒や違法な薬物で酩酊状態のまま車に乗り、その車が単独事故を起こし、同乗していた数名の友達が亡くなりました。
ーかなり荒れた少年時代だったんですね。
そうですね。
中学を2年で行かなくなって、そこからは地元の半グレの先輩達のグループに入りました。その時は自分が無敵だと思っていました。
ー相当、悪いグループだったんですか?
そうです。
入ったグループのトップは常識が通用する人でもなく、長年可愛がってた右腕の人でも失敗があれば半殺し、ビルの6階に住んでたんですが、そこから放り投げた時は僕も引きました 笑
それくらいぶっ飛んだ地元で生活してました。
死んだ仲間と軽はずみの後悔
ー当時事故を起こした車を運転していたのがゆうとさんだったんですか?
違います。
ーでは、同乗していた当時の友達の一人が運転を?
そうです。
事故で死んだ当時の友達です。
ー事件当時のお話を聞かせてください。
事件当時、酩酊状態のまま友達と数名で車へ乗り込み、友達のうちの一人が運転をしていました。自分は車で眠りについたのを最後に、事故直前直後の記憶は一切なく、次の記憶は病院の白い天井でした。
ーでは、車が事故を起こした瞬間は覚えていないんですね。
そうです。
病室で目が覚めてから直ぐに警察の取り調べが始まりました。警察は当初、事件のことは自分には話しませんでした。一緒に乗車していた友達が事故で死んだことも。
ー病院で目覚めた時、大きな事故として世間で騒がれていることも知らなかったんですね?
そうです。
警察は自分が車の運転手として捜査をしていました。自分が病室で目が覚めた時から事故の情報は警察によって全て隠されていました。
ーなぜ、警察はゆうとさんが運転手だったと?
事件当時、あの車を運転していた友達は弟と一緒に、兄弟で車に乗っていました。運転していた兄の方はあの事故で亡くなりました。自分と同じように生き残った弟が運転をしていたのは自分(ゆうとさん)だと警察に話したそうです。
ー何故ですか?
勿論事故の過失はこちらにあるので、そうなれば一番罪が重くなるのは運転手です。自分と弟の方との接点はなかったので、自分になら罪悪感も多少は少ないでしょうし。
ーゆうとさんはどうしたんですか?
僕が運転していたと認めました。
ー罪を被ったということですか?
自分の白を証明するより相手を庇った方が格好悪くならないと、死んだ友達の身内と罪の被せ合いなんてしたくなかったですしね...そんな安易な発想で罪を認めました。 でも、自分の家族には泣かれて頼まれました。本当のことを話してと。その時になって初めて、なんて安易なことをしてしまったんだと、実感が湧いてきました。
奈良少年刑務所
ー少年刑務所時代の事を教えてください?
少年刑務所では19歳からの5年間を過ごしました。 その前に姫路拘置所、大阪拘置所に居たのですが、姫路拘置所での最初の2年はキツかったです。 成人裁判になり刑務所に行く事が決定して、それが受け止められず笑顔も忘れて毎日死にたいと思っていました。自分の中の何かが壊れていくのをずっと無気力に傍観しているような、毎日をただひたすらに無気力に。
2年ぶりに感情の昂りを感じた瞬間は今でも覚えています。姉が久しぶりに面会に来てくれて、顔を見たら何故か笑いが抑えられなくなってしまって、泣きながらずっと笑っていました。笑い方も忘れてしまっていたので、大笑いしながらどこか客観的に「俺今笑ってる」なんて考えていました。
ーゆうとさんの中で何かが変わったんでしょうね
そうですね。 今までの自分をどこか客観的に見れる様になりましたし、家族の尊さとか慈しみみたいなものを深く感じる様になりました。
ー少年刑務所内の中での生活はいかがでしたか?
自分はとにかく真面目にやっていました。少年刑務所内には作業所っていう実習室みたいなものがあって、30人で1組みたいな班があるんです。自分は最速で出世して最年少で実習場委員長っていう責任者になりました。
ーすごいですね! 偏見になってしまいそうですけど、年下に仕切られたくない。みたいな嫉妬とか嫌がらせの様なことはなかったですか?
やっかみはありましたね。 でも世渡りは当時から上手かったので大きな問題などは特には起きませんでしたね。
ー少年刑務所で過ごす中で辛かったことはありますか?
刑務所って言葉が悪いですけど、社会の底辺って感じがありますよね。その底辺の中でもカーストがあリます。例えば、刑務官と服役囚っていう絶対的なものがあって、その服役囚の中にもカーストがあります。下位の人間を作って安心する、みたいな。その縮図を中で実感することが精神的にキツかったですね。 あと、自分のこれまで過ごしてきた世界の中で、自分の時間だけが止まっている事を実感することがキツかったです。「あいつ、どこどこに就職したんだって」とか「結婚したんだって」みたいな。
手記
ーゆうとさんの手記ですが、残し始めたきっかけはなんだったんですか?
少年刑務所の中で学んだことを実写にして刑務所を出た後に活かしていけるような、形に残るようなものが欲しくて始めました。
ーページの数もすごいですもんね。ゆうとさんの真面目なところがノートから垣間見えます。
真面目にやっていくことの大切さは服役時代に学びました。 自分は少年刑務所内の通信制の高校を卒業したんです。それは紛れもなく、刑務所の中で真面目に頑張ったことへの烙印だと思っています。
卒業式もありました。一般の方とは関われないので学校が休みの日に、その通信制高校の本校まで行って卒業証書をもらいました。
自分の真面目さが認められて、外での活動としてカフェでバイトもしました。その時、外の世界に久しぶりに触れました。 そのカフェによく近くの大学の教授がきて本を読み耽っていました。ずっと気になっていたので自分から話しかけて、会話ができる関係になりました。その教授にも色々なことを教えて頂きました。本当はダメなんですけど自分が今、少年刑務所から来ていることも教授に話しました。
ー少年刑務所内でのゆうとさんの成長がすごく伝わってきます。服役時代に関わった人の中で印象に残っている人はいますか?
刑務官で田中さんという方がいました。その人の口癖は人生楽しくかっこよく生きろでした。常に前向きで明るくて色々なことを教えて頂きました。自分が手記を残そうと思ったのも田中さんとの出会いが影響していると思います。
七転び八起き
ー出所後のことを教えてください
出所した後は、友達を誘って元々親父がやってたってのもあり、レッカーの仕事をしました。初めの頃はレッカー車をリース会社からレンタルして営業していました。リース料が高いので、自分達でレッカー車をローンで購入する形で話が進んでいたんです。丁度、その頃にバイクの貰い事故で右足を負傷してしまって1年程リハビリで動けなくなりました。過失は自分にはなかったんですけど、良くしてもらっていた取引先から公正していないと見られ、切られてしまいました。レッカー車は購入間際でギリギリキャンセル出来たので不幸中の幸いですね 笑
ー修羅場の連続ですね
そうですね 笑 これまで死にかけることはいっぱいありましたけど、不思議と死なないもんです 笑 自分がグレてしまう原因でもあったんですけど、自分は子供の頃、かなりおじいちゃん子でした。親父が婿養子で家庭がちょっと複雑だったんで、よく祖父の家で過ごしていました。子供の頃なのでよく分かっていなかったんですけど、祖父は金貸しをしていたみたいです。よく近くのDVDのレンタル屋に一緒に行っていたんですけど、それはどうも取り立てだったみたいなんですよ。祖父はそこの店主に殺されました。
ー凄いお話ですね
祖父が殺された日、自分は『一緒に行くか?』と祖父に尋ねられましたが、丁度見たいテレビがあって断りました。それっきり祖父は数日帰りませんでした。警察と自分の親族が近くのショッピングモールに祖父の車が止まっているのを見つけて、中を確認すると祖父の死体が見つかりました。自分は当時、子供だったので近くにはいませんでしたが、成長して当時の事を振り返ると、もしあの日、自分が祖父について行ったら、あの事件は起きなかったのかなって思う時もあります。
ーおじい様について行かなかったから、今のゆうと代表がいるとも考えられます
そうですね。
ホストの道、これからの道
ーバイクの事故でレッカー車の事業が頓挫してしまった後はどうしたんですか?
環境を変えたかったこともあって、上京を考えていた時、少年刑務所時代に出会ったホストの話を思い出しました。『ホスト 歌舞伎町』で検索をかけ、新規店のレジスタンスを見つけました。すぐに連絡をしてみたらHIKARIさんからすごい長文で連絡が返ってきました。熱さを感じてレジスタンスに入り、6年後に代表に就任しました。
昔の経験を自分の経験値として認められる様になったのはここ1年くらいですね。
ーゆうと代表を見ていると、レジスタンスの代表としての現在も、まだ道の途中という感じがします。これからゆうとさんはご自身がどの様になっていくと思いますか?
服役時代の事を考えると、先のことを考えすぎて我慢し続けた人生を長く過ごしたと思います。今、この瞬間が楽しくないと人生は面白くないですし、格好良くないです。この先僕は自分の人生をもっと楽しく、格好良くしていきます。自分の人生を、今の現状をどう捉えるか、これから自分をどうしていくかは全て自分次第ですから。
ー自分が同じ境遇に立ったら、ゆうとさんの様に何度も立ち上がることはできないです
この前、テレビでスケートの大きい大会を見ていました。女の子が演技の序盤で盛大に転倒していました。でもその後何事もなかったかの様に堂々とした表情で全力で演じきっていました。そのシーンを見ながら、自分には絶対真似出来ないと心の底から思いました。あの演技の裏では想像もできない様な痛みや苦労、失敗があると思います。家族、友達との関係とか。きっとみんな自分のことではない、誰かの事だから凄いと思えるんですよ。
過去を語るゆうと代表の目は微かに霞み、普段の豪快さ、貫禄が少し和らいで見えました。
ゆうと代表の人生の一部を聴き終わり、何か映画を見終わった後の様な喪失感に近いものに襲われ、決して綺麗事では片付けられない過去の悪行も、善行も、今のゆうと代表を形作っていると感じました。
未来を恐れず、過去に縛られず、ひたむきに全力で今を生きるゆうと代表にお話を聞き、昔に冷めたと思っていた、胸の奥が熱くなるのを感じました。過去の自分がどれだけ苦しく、情けなくとも、今を感じ、今を生きる事が過去の自分への花向けになる。
今現在は明日の過去で、明日を作っていく『今』この瞬間が何にも変え難く、何よりも大切にしなければならいないのだと。
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